「東日本大震災復興Tシャツプロジェクト」最終ご報告
2019.03.27 Wednesday
長い間このブログを更新できませんでした。すいません。
2011年3月11日に起きた「東日本大震災」に、シークセールで何かできないかと当時のスタッフ皆で相談し、当店独自の支援方法「東日本大震災復興Tシャツプロジェクト」を立ち上げました。
このブログを遡っていただくと、立ち上げからの経過がわかると思います。
しかしブログは途中更新がなかなかできなくなってしまうのですが、ここで最終報告をしたいと思います。
このプロジェクトは、たくさんの協力者の皆さんにデザインをしていただき、それを当店でプリント、そのTシャツの売上を被災地支援にあてるというものです。
その他、売上でバンドSLANGのKOさんのNBC作戦の自立支援プロジェクトの商品を購入、その売上も全額寄付、という二重支援にもあてていました。
途中まではブログに経過が書いてありますが、「シークセール新聞」という新聞を発行、支援の様子や支援金の詳細も載せてます。
シークセール新聞1の中
シークセール新聞2表紙
シークセール新聞3表紙
シークセール新聞4表紙
シークセール新聞4(8ページ中2ページ目)
シークセール新聞4でご報告したものによるとこの時点2013年8月までの総売上
1742000円
その後2014年4月と8月に
200000円
2016年5月に4月に起きた熊本地震の際、売上から同じく被害のあった大分県に
「大分県ふるさと大分応援寄附金」として
115455円
2016年5月から2018年12月31日まで
63668円(NBC作戦に寄付)
総合計
2121,123円
全額支援金として支援活動、寄付金とさせていただきました。
皆様のご協力、ありがとうございました。
ここにご報告とさせて頂きます。
新聞はVOL.2以外はまだ在庫がありますので、もしも欲しい方いらっしゃいましたらお声がけ下さい。
よろしくお願いいたします。
尚、新聞に連載しておりました「除染作業員Aの日記」は、作家がスランプのため、まだ完結しませんが、いつか完結しましたらこれだけの小冊子を作成する予定ですので、気長にお待ち下さい。
お待たせしてる方には申し訳ありませんが、どうかご了承下さいませ。
最後に、Tシャツのデザインに協力してくださった皆さん、水や物資や寄付金を持ってきてくださった皆さん、一緒に被災地に運んでくださった皆さん、協力してくれたスタッフ、Tシャツを買ってくれたたくさんの皆さん、ありがとうございました。
東日本大震災から8年が過ぎましたが、まだ被災地は当時のままの場所もたくさんあり、今も家に帰れない方がたくさんおられます。それを忘れないようにしましょう。
シークセール
9月18日(木)南相馬の保育園に水を届けに行きました。
2014.10.06 Monday
常磐道富岡インターから降りて、震災以降3年半ぶりに開通したばかりの六号国道を通って。
帰宅困難区域を避けて、それまではかなり遠回りをして行かなければならず、南相馬まで片道5時間はかかっていたところ、なんとこの日は3時間半ほどで到着。
富岡インターを降りてすぐの立て看板。
車での通過は認められてはいるものの、自転車、二輪車、徒歩での通過は禁止されています。車の窓も開けてはいけないし、停車してもいけません。
ハッキリ言ってかなり怖かったです。
震災以降、常磐道で途中まで行き、郡山経由でいつもかなり遠回りして山を越えて行っていたので、富岡まで行ったのも初めてだったし、このあとの一般道を通るのも初めてでした。
一般道は測道や店舗、住宅の前にバリケードが張られ、警官が立っているところもありました。
震災以降不通になっている線路。レールがどこかわからないぐらい草に覆われていました。
車走行中の、窓越しでの撮影でしかも同行者が撮影したものをお借りしたので、どの写真もかなりぶれていますがご了承ください。
このあと南相馬のイオンにて、前もって注文していたミネラルウォーター200ケースを積み込みますが、その写真は撮り忘れました。
イオンにて、毎回水をお届けしているよつば保育園の副園長とお昼をご一緒していろいろお話をしました。
そしてイオンのすぐ近くの保育園に水を届けました。
いつものようにイオンで車を借りて、それでも2往復。
2往復目の最後の運び込みの図。
200ケース、すべて運びこみました。(後ろ姿は副園長)
運び込み終了後、保育園の〇歳児の教室にお邪魔し、お昼寝から目覚めたばかりのふわふわの赤ちゃんを抱っこさせていただきました。
震災以降、激減していた乳幼児が少しずつ増えてきているのだそうです。南相馬市はギリギリ避難区域ではないのですが(原発から20km以上)、自主的に避難していた人たちが戻ってきているのだそうです。そして、震災以降こどもを産むのを躊躇っていた人たちが、産み始めているのだそうです。実際南相馬市での新生児が増えています。
私たちは、この生まれたてのこどもたちに、せめてきれいな水を、と思い、これまで南相馬への水支援をしてきました。
しかし、行政側は【南相馬はもう安全だ】と言います。水道水も安全基準を満たしている、と。
しかし、です。
それでも私たちはこどもたちのためにせめて水を、との思いで届けてきました・・・・・。
いろいろ考えさせられます。
一言では言えません。
今回、副園長や、この保育園を紹介してくれたNBC作戦創設者のSLANGのKOさんともいろいろな話しをしました。(KOさんとはこの日ではなく別の日に)かなり突っ込んだ話しもしました。
それを詳しくはとてもここへは書ききれません。
支援の限界というものも感じましたし、とにかく結局のところ国の政策そのものが問題なのです。原発の存在そのものが問題なのです。
今回9月からの六号開通も、正直疑問だらけです。
本当に開通して良いのでしょうか?
・・・・・
保育園に水を運んだ後、毎回行く海岸線に今回も行ってみました。
前回4月にも行った小高地区にまた行ってみました。
まだ堤防は壊れてなぎ倒されたままだし、
海岸近くの家々は、津波の被害そのままの状態で手付かずで残されています。
基礎だけが残された家々・・・
増えるいっぽうのガレキの山々。
毎回かなりいろいろ考えさせられますが、この日も同じ皆で海岸を無言で歩き、それぞれがいろいろなことを考えたハズです。
この状況を、いろいろな人に見てもらい、感じてもらうだけでも、毎回南相馬へ直接行く意味はあると思っています。
今後の支援の方法も、いろいろ考えつつ、また続けて行こうと思います。
そして帰路に着きました。
富岡インターに乗る直前にある線量計。
今回の南相馬行きは、「東日本大震災復興Tシャツプロジェクト」の売上、そして「NBC作戦本舗・自立支援プロジェクト」の売上、そして皆様の寄付により実現しました。
協力してくれたすべての方々にお礼を申し上げます。
復興Tシャツを買ってくれた皆さん、NBC作戦本舗のグッズを買ってくれた皆さん、出店をさせていただいたイベンターの皆さん、ブースを貸してくれた皆さん、ライブハウスの皆さん、Tシャツをデザインしてくれた皆さん、寄付金を下さった皆さん、水配達の協力・同行してくれた皆さん、その他関わってくれた皆さん、ありがとうございました。
今回も皆さんのおかげで200ケース、こどもたちのために水を届けることができました。
今回水代を寄付してくれたarrowさんとkwaiさん、ありがとうございました。
今回は諸事情により、大々的に南相馬行きを告知できませんでした。そのため、毎回水や寄付を下さる方々に「何故行くことを言ってくれなかったのか?」とのお叱りを受けました。ごめんなさい。
今後は告知を少し控えさせていただきます。
ですが、今後も形は変わるかもしれませんが、支援活動、及び復興Tシャツプロジェクトは続けていきますので、引き続きよろしくお願い致します。
Tシャツの新作もどんどん増えています。素敵なデザインたくさん揃っています!
今後もよろしくお願いします!!
シークセール・デザイナー ゲルピン
長い間更新が滞ってしまい、申し訳ありません!
2014.10.05 Sunday
このブログは「東日本大震災復興Tシャツプロジェクト」の活動を記録するために始めたのですが、諸事情により更新がなんと2年も(!)滞ってしまいました。
申し訳ありません!
その2年の間に、いろいろやりました。
まず「シークセール新聞」を発行し、支援活動の様子や被災地の様子、原発・震災に関するいろいろな記事を掲載しました。
それから、定期的に被災地へ支援物資を運びました。
それから、各地で開催されるイベントに出店し、復興Tシャツプロジェクトを展開しました。
これらの活動をそのつどブログに掲載できれば良かったのですが、なかなかブロブを書くことができず、つい2年も経ってしまいました。
ツイッターを始めまして、そちらには毎回活動の様子は書いているのですが、それで精一杯でした。すいません。
今後は少しずつこちらのブログに書いていこうと思います。
とりあえず、先日南相馬の保育園に水を届けに行った様子を書こうと思います。よろしくお願いします。
シークセール・デザイナー/ゲルピン